オーストラリアにおける日本人墓地と日本庭園(1)

Sidの10行海外紀行

 日本人にとってオーストラリアと言えば、ゴールドコースト、ケアンズ、エアーズロック等が有名だが、 オーストラリアに旧日本軍人のお墓があることはあまり知られていない。
 旧日本軍人のお墓はシドニーから西に約250kmのカウラ(Cowra)の地にある。シドニーからカウラまで の道のりは、ノースシドニーからハーバーブリッジを渡りシテイを通りウエスターンモータウエイを走り、 スリーシスターズで有名なカトンバ(Katoomba)に向かう。カトンバから昔懐かしいジグザグ蒸気機関車が 走っているリスゴー(Lithgow)を通り、自動車レース場(Panorama Motor Racing Circuit)で有名なバースト(Bathurst)を経由してカウラに入る。
カウラは野菜、ワインの生産地とし有名な静かな田舎町である。ここに日本人墓地(Cowra Prisoner of War (POW) Camp)と日本庭園(Japanese Garden)がある。
 何故この地に日本墓地があるのか? 聞いた話では第2次世界大戦時に日本軍はインドネシア、スマトラ、 ボルネオ、ニューギニアまで侵攻し、ニューギニアで連合軍の一員であるオーストラリア軍につかまった日 本兵がオーストラリアのトップエンドのダーウインに捕虜とし送られたが、日本軍の潜水艦、爆撃機が来る ため暴動を恐れ、はるか彼方のNSW州のカウラに連れて来たそうだ。この時は日本兵(日本人、韓国人、 台湾人を含め)だけでなく、イタリア兵も連れて来られたそうだ。
 1944年8月5日、1000人以上の日本兵がPOWを脱走しようとしオーストラリア兵と戦い、4名の オーストラリア兵と231名の日本人兵士が亡くなった。
 私がこのPOWを訪ねた時に説明してくれたオーストラリア人は、教育の違いでこのような悲劇が起きたの だと説明してくれた。日本兵は死んでも脱走し、捕虜の汚名を着せられたくない教育で育ってきたので、武 器もない状態で脱走を企てたのだと言っていた。それに対し、イタリア兵は最善を尽くし戦ったので、後は 捕虜となり、何時帰国できるかを楽しみにしていたので、このような脱走を考える思想は全く無く、誰も参 加しなかったと言っていた。
 しかし、死亡したオーストラリア兵のお墓は大きく立派なのに、日本兵は全員細長い石の上に名前と死亡日 が記載された小さなプレートが張ってあるだけの墓である。何か寂しさを禁じえない。中には名前も分らな い戦死者もいて、同じ日本の先人の苦労を思い知らされた感があった。
 戦争と言う大きな悲劇の中で、多くの若かった先人が大変な苦労を虐げられ乍戦い、無念の中、異国で亡く なられたお陰で、今日の日本の繁栄、安定が作られているのだと感じた。

<参照>
http://www.abc.net.au/gardening/stories/s1129846.htm
http://www.cowra-p.schools.nsw.edu.au/cpsbreak.htm


カウラのPOW説明図
カウラPOW
日本人墓標

日本軍人の個別墓地
オーストラリア軍人の個別墓地

イタリア人墓標
copy right: 利学塾(Rigaku Crammer) all rights reserved